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OESIKI-001 東京・池上本門寺 「お会式」 は大変な賑わい

【10/12・ 2003】

池上本門寺は、日蓮聖人が今から約七百十数年前の弘安5年(1282)10月13日辰の刻(午前8時頃)、61歳で入滅(臨終)された霊跡です。  日蓮聖人は、弘安5年9月8日9年間棲みなれた身延山に別れを告げ、病気療養のため常陸の湯に向かわれ、その途中、武蔵国池上(現在の東京都大田区池上)の郷主・池上宗仲公の館で亡くなられました。  長栄山本門寺という名前の由来は、「法華経の道場として長く栄えるように」という祈りを込めて日蓮聖人が名付けられたものです。そして大檀越の池上宗仲公が、日蓮聖人御入滅の後、法華経の字数(69,384)に合わせて約7万坪の寺域を寄進され、お寺の礎が築かれましたので、以来「池上本門寺」と呼びならわされています。  毎年10月11日・12日・13日の三日間に亘って、日蓮聖人の遺徳を偲ぶ「お会式法要」が行われ、殊にお逮夜に当たる12日の夜は、30万人に及ぶ参詣者で賑わいます。  そして池上本門寺は「日蓮聖人ご入滅の霊場」として700年余り法灯を護り伝えるとともに、「布教の殿堂」として、さまざまな布教活動を展開しています。
【由来・池上本門寺公式ホームページより

 本門寺参道入口付近

お会式十二日夜の万灯行列の華やかさと講中の威勢の良さは、安藤広重の版画にも描かれているように、江戸の昔から有名で、一晩で二十万とも三十万ともいわれる参詣者で賑わいます。そして、この夜の大堂は、僧侶の大太鼓とご信者達の団扇太鼓が一体となって、お堂が震動するほどの音と唱題の声で満たされ、十三日の明け方まで続きます。そして、午前八時に法要を営み、七百二十二年前のこの朝、多くの弟子信者が見守る中、日蓮聖人のご入滅を告げる鐘を日昭聖人が打ち鳴らされたように、「臨滅度時の鐘」を鳴らして、ご遺徳を偲び、法華経を弘め伝える誓いを新たに致します。

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池上通りを、池上駅方面からきた行列と大森駅方面から進んできた行列は、「新参道入口」の交差点で合流する。そして、交互に左折、右折をして新参道を本門寺へと進んでゆく。


 新参道から本門寺・大堂へ

新参道両脇には、「屋台」が軒を連ね祭り気分を盛り上げている。

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行列は「総門」をくぐりいよいよ本門寺へはいっていきます。熱心な法華信者で築城家としても有名な、加藤清正公の築造寄進の「此経難持坂(シキョウナンジザカ)」石段を一歩一歩昇ります。途中から後ろを振り返ると、一本の「火の川」となった行列が美しく見えます。

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「三門」を通って「大堂」で礼拝を済ませ、「本殿」前の広場で「万橙練り行列」は終わりとなります。


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