狸寺とも呼ばれる多聞寺
初春に賑わう隅田川七福神は、南から参拝して行くと、最後は毘沙門天の多聞寺になる。他の六福神が比較的近接しているのに比べ、毘沙門さまだけはやや北に片寄っている。明治のジャーナリスト若月紫蘭も『東京年中行事』の中で「七福神詣」で、寿老人の白髭神社を出てからかなりの道程があったと書いているが、その所在地は墨田五丁目31-13になる。 「寺はその昔、水神社といった隅田川神社の別当、新義真言宗寺島村蓮華寺の末派で、隅田山吉祥院とよび、慶長11年建立されたものである。毘沙門天は寺の本尊で、弘法大師の作と伝えられている」 『東京年中行事』が伝える多聞寺の由来だが、古記録によると歴史はもっと古いらしい。 つまり、創建は平安時代中期の天徳年間(957〜61年)で、寺名を大鏡山明王院隅田寺といい、本尊は不動明王、場所も隅田川神社のあたりにあった。それが天正年間(1573〜92年)に現在地に移り、本尊も毘沙門天に替わって、隅田山吉祥院多聞寺になったという。 毘沙門天は、帝釈天に仕える四天王の一人で、怒りの姿を表わし、よろい・かぶとに見を固めて手には矛を持っている。勇ましい武将そのものといった姿だが、多聞寺の毘沙門天にはそれにふさわしい武勇伝がある。 その昔、同寺に住みついて夜な夜な住職を悩ませていた古狸を毘沙門天が退治したというものである。その狸を葬ったのが、今も境内にある狸塚で、だから多聞寺を狸寺とも呼ぶ。 同寺はまた山門が一見に価する。今どき珍しい茅ぶきの四脚門は江戸時代中期の建築といわれ、昔の大火や関東大震災、戦災も奇跡的に免れた。墨田区内最古の木造建築物でもあり、貴重な文化財でもある。 「江戸東京物語」下町編(新潮社編)より
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