懐かしの静岡 へ Go!
【11/2・ 2003】
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| 「足柄サービスエリア」からの富士山 |
昭和26(1951)年から昭和34(1959)年、幼稚園・小学校時代を過した懐かしの「静岡」へ四十数年ぶりに行ってみることとなった。十年ほど前、仕事で静岡駅周辺の見学をしたが本格的に幼年時代への郷帰りは始めてである。
11月2日午前8時、車で二男の家を出発、東名高速「東名川崎インター」経由で一路「静岡インター」へ!
三連休の中日とはいえ天候もよく、高速道路は箱根方面への「紅葉狩り」か「御殿場インター」まで大渋滞。
そこで、「足柄サービスエリア」で遅めの朝食をかね、初冠雪の「富士山」をじっくり見てみることに・・・
静岡市立森下小学校
校 歌
| 昭和四年の 春の日に いしずえすえし 森下の
ときは色濃き まなびやに
つとめはげまん いざわれら
| 青空高き 冨士が嶺を まなびにしるしと あおぎつつ
心をみがき 身をきたえ 正しく強く いざ共に
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Go to Morisita elementary school
静岡駅南口、通称"駅南(エキナン)"に今も変わらず「森下小学校」があった。正門の位置は変わったようだが、「二宮金次郎」の銅像や校庭から見える「八幡山」のたたずまいは、昔と変わらない。あたりの道路状況も変わっていないようだ。記憶をたよりに、「八幡聖母幼稚園」に向かう。
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八幡聖母幼稚園
昭和27年にカトリック八幡教会と同じ土地に、フランス人の神父によって建てられ、49年間で5000人の卒業生を送り出しました。いつも神様に守られている環境の中、園庭には、元気に遊ぶ子ども達の声がひびいています。
カトリックの教えに基づいて、お友達と一緒に遊び、生活していく中で、子ども同士
が、 かかわり合い、 いろいろな経験を通して人を許す気持ちや、相手を思いやる
気持を、育てています。
園の前には、八幡山があり 春には山がもも色に染り、 秋には、木の実や落葉で
遊ぶなど 自然のうつり変りを肌で感じ、草花や虫などの、自然界のすべてのものに対しても、親しみと共に、ありがとう という気持ちをもち、感謝する心が 育って行きます。 徒歩通園の幼稚園ですので、朝は、親子のふれ合いがゆったりと持て
ます。 帰りは教師に送られて帰る中で、 会話を楽しみながら、 先生や、異年令の
子どもと 仲良しになり、家に帰ってからも、友達との遊びが、つながって、暖かな、かかわりが持てています。
【ホームページより:上のマークをクリックすると「八幡聖母幼稚園」のホームページにいけます】
八幡山・八幡神社
森下小から南方を見るとこんもりとした緑の小丘が見える。それが八幡山で海抜64mありこの麓には八幡(はちまん)神社があり、山頂付近は八幡山(やはたやま)城跡となっている。小学校の頃、通学路であり、格好の遊び場であった。
【森下小校庭から見た八幡山:右写真中央】
八幡山をひと回りすると、そこには見たことのない風景が広がっていた。鐘紡の社宅、鐘紡静岡工場といった見慣れた景色が全くない。道沿いに少し車を走らせて見ると、右側に「豊田中学校」があった。確かに、ここらあたりには違いないのだが、鐘紡の撤退後再開発され街は一変していた・・・・
「登呂遺跡」に向かう事にする。
登呂遺跡
市街地南部にある、戦後日本の古代史研究の先駆けとなった代表的な弥生時代の遺跡です。昭和18年、戦時中の軍需工場の建設に伴い、水田地帯から偶然丸木舟などが発見されたことがその発端です。発見当時は「富士見原遺跡」と呼ばれ、小規模な発掘を経て昭和22年から本格的な調査が始まりました。
「教科書」でおなじみの弥生時代の住居跡を見て回ることに。「登呂遺跡公園」入口の復元された「水田跡」では折りしも稲刈りが行われていた。
ちょっとお腹もすいてきたので・・・・・「安倍川もち」をいただくことに・・・・
店のおばちゃんから「わさび漬」をおみやげにいかがですか?といわれ見てみると「野桜本店」と書いてある。「わさび漬」といえば「田丸屋」と思っていたが、試食してみるとなかなかのもの。買ってきたが、本来のわさび漬けの味がして何か得した気分。 (;_;)鼻にツーンときます・・・・
「野桜本店」へリンク
久能山・日本平
1,159段のつづら折りの石段を登りつめると壮麗な社殿があります。75歳で生涯を閉じた徳川家康公の命により、 二代将軍秀忠が桃山時代から江戸時代の美術の粋を集めて造営しました。権現造り社殿の壮麗さと、駿河湾を見おろす風光の美しさで全国的に知られています。境内には、家康ほか歴代将軍の遺品約2,000点余りを保存展示する東照宮博物館もあります。青銅の屋根瓦、 朱塗りの柱、外・内部に極彩色を施した華麗な社殿の後方には、家康公の眠る廟所があります。
東照宮から日本平まではロープウエイが運行されていて、ロープウエイからの眺望は四季折々趣のあるものです。
静岡市と旧清水市の中間にある標高307mの丘陵地です。眼下に広がる駿河湾から遠く伊豆の山々を見渡し、 南アルプス、霊峰富士を望むその景観は、日本を代表するもののひとつで、昭和54年度日本観光地100選コンクールで第1位に選ばれました。 また、久能山東照宮とロープウェイで結ばれています。
清水次郎長生家
広沢虎造の浪曲でおなじみの清水次郎長は、文政3年(1820)1月1日、静岡県清水市の船待船頭・雲不見三右衛門の子供に生まれ、長五郎と名付けられました。しかし元旦生まれの子供はよほど偉くなるか悪い奴になるという言い伝えがあったため、叔父の山本次郎八の養子にされます。そして次郎八の家の長五郎ということで、縮めて次郎長と呼ばれるようになったものです。
ケンカとバクチの前半生でしたが、明治維新の前後に山岡鉄舟や県令(今の県知事)大迫貞清に出会って一変、清水地区の発展にいろいろな貢献をしています。三保の新田開発、巴川の架橋、相良町の油田開発、英語学校の設立、又蒸気船による海運会社の設立(後にこの船で静岡の茶が東京に出荷される)などの事績がありますが、中でも有名なのは富士の裾野の開墾事業でした。
仁侠映画でみる次郎長はケンカとバクチが主ですが、ここでは社会貢献をした姿が鮮明に映し出されます。
天候に恵まれ、懐かしの静岡を訪ねることができ本当に楽しい一日でした。
幼・少年期を過した静岡は第二の故郷といっても過言ではありません。帰りも渋滞が予想され、「茶っきり節」でも口ずさみながら、またの訪問を楽しみに家路につきました。

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