【隅田川七福神めぐり】
隅田川七福神の由来
隅田川堤は江戸市中から手軽にゆける行楽地として、昔から親しまれていた。
文化元年に佐原鞠塢がこの地に百花園を開園した。そこに集まる太田南畝、加藤千陰、村田春海、酒井抱一などの文人墨客等が、園主鞠塢が愛蔵する焼物の福禄寿像に目をつけ、ここに七福神詣を作ろうと考えた。多聞寺の毘沙門天、長命寺の長命水にちなむ弁財天、三囲神社の境内には恵比寿・大黒の二神像があり、弘福寺には黄檗禅に関係深い布袋和尚像があることがわかり、六福神が揃ったが、寿老人だけが見つからなかった。そこで、百花園のある寺島村の鎮守白鬚大明神は、白鬚と申すからには白い鬚を生やした老人の神様だろう。寿老人に打ってつけと、江戸人らしい機智を働かせ白鬚大明神を寿老神として、ここにめでたく七福神が揃ったと伝えている。
全行程約一里の、新春の寿を祝う江戸の人びとの初詣、散策には絶好の場所となり、江戸っ子の人気を博した。明治になって一時さびしくなったが、明治三十一年隅田川七福神会が再興され、同四十一年には榎本武揚等の筆になる石碑も建てられ、名実ともに都内随一の七福神めぐりとして今日に続いている。
今時の戦災にも百花園以外はほとんどあわず、七福名所それぞれの趣きを残し、墨田堤名物の名碑類、名所、旧跡も多く、見どころも豊富である。また、その道筋も、下町情緒・風情を色濃く残すところでもある。
※隅田川文庫発行「隅田川七福神めぐり」より
墨田区向島2−5−17 |
墨田区向島5−3−2 |
墨田区向島5−4−4 |
墨田区向島5−5−22 |
王選手もここで育ちました。 私も昔ここでプレーしました。 |
墨田区東向島3−18−3 |
佐原鞠塢が造園 |
毎年「春の七草」を皇室に献上 |
墨田区東向島3−5−2 |
謡曲「隅田川」で 梅若丸が息絶えた渡し場 |
都営住宅の中 昔の姿を・・・ |
墨田区墨田5−31−13 |
古くよりこの寺は 隅田川神社(水神社) の別当寺も兼ねていた |
「坐姿六地蔵」と呼ばれる 非常に珍しい形態の尊像である |
願いは・・・皆の「しあわせ」昔から七福とは、人の本質で最も尊い宝とされていた。寿命、裕福、人望、清廉、愛敬、威光、大量のこと、七福神を巡拝すれば、きっと今年一年、「幸福」に過せるにちがいない。そんな思いで1月5日、「隅田川七福神」巡拝に行ってみた。
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