昭和40年7月撮影
※写真はクリックで大きくなります。
■1964(昭和39)年■
=全国高校野球選手権県南予選=
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対久留米高校戦
・香椎球場 ホームにすべりこむ伊藤 |
= 運 動 会 =
場内を一周 |
【前より】衛藤・伊藤・山内・大石・中山 |
| マラソンスタート 314番・中嶋さん 110番・伊藤 |
【マラソンコース】: 修猷館→早良口→有田→西福岡高前→橋本バス停(折り返し)
優勝しトラックを一周(伊藤) |
216番・小嶺さん |
準優勝の南君(バスケット部)とは復路・早良口付近よりデッドヒートを展開。修猷館校門付近でやっと振り切り優勝させてもらった。今でも、彼の息づかいが耳元に残っている。 |
=39年度3年生送別会=
昭和39年12月24日:丸仙
![]() (左より) 林田、衛藤、田中、町田、谷知、野口 | ![]() (左より) 並木、原、藤井、町田、衛藤、田中 山内、野口、谷知、中山、井本 |
![]() (左より) 原、劉、並木、中嶋、藤川、岸岡 藤井、町田、井本 | ![]() (左より) 井本、山下、山内 |
=クラス写真(1・2・3年)=
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| 1年8組 担任:尼川先生 野球部・田中・岡崎・伊藤 | 2年10組 担任:吉村先生 野球部・岡崎・中山・伊藤 | 3年7組 担任:吉村先生 野球部・伊藤 |
■1965(昭和40)年■
=グランド風景=
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=修猷館にジム旋風=
修猷館高校(重藤市ノ亟館長)にこのほどジェームス・マンテス君(16)=ペンシルベニア出身、レディング・ハイスクール三年=が留学してきた。アメリカン・フィールド・サービスの交換留学生として来日したもので、同校三年生、衛藤震治君(18)方に宿泊しているが、このため同校は英語ブーム。廊下のあこちで英会話が大流行。すっかり人気者になったジム君、英会話に引っ張り出されたり、日本の武道を体得しては、と剣道部に誘われたりで忙しい。ホームシックなどどこ吹く風で「日本学生の勉強熱はすばらしい。古典音楽、読書などはとても歯が立たない」と感心している。【西日本新聞】
【修猷新聞】 A・F・Sの交換留学生として来日中のジェームス・マンティス君は、来校早々英語の先生と各教室を巡り、カタコトの日本語を混えてなごやかに雑談するなど大いに人気を博したが、帰国も近づきここにインタビューを試みた。ジム君の下宿先である衛藤さん宅に行ってみると、きわめてザックバラン、向こうの家族の人も助けてくれたが、なるほど彼がホームシックにならず、「衛藤さんの家族が暖かく迎えてくれたことが一番うれしかった。」という彼の言葉もうなづけた。 ジム君もたいがいの欧米人と同様に日本に対してはいわゆる「フジヤマ、ゲイシャガール、ゼンガクレン」程度の知識しかなかったらしく、現実の日本との違いに驚いたそうだ。今さらながら日本が「知られざる国」である事を痛切に感じさせられた。 だが今は違う。もう立派な日本の理解者の一人だ。 向こうでは見た事もない"タコ""ノリ"や"トウフ"も食べるそうだし、日本の食べ物で何が一番好きかと聞いたところ、「テンプラ、スキヤキ、ミソスープ」という返事。すき焼き、天ぷらはわかるとして、みそ汁が好きだとは恐れ入った。食べ物の話が出た所でアメリカでは食べないクジラの肉がこちらではうまく料理されているといって感心していたが、こちらは油を取るだけにしか使わないという裕福さに感心した。 やはり一番不自由なのは"ことば"の面らしいが、それもまわりの協力で何とかなるものだ。 ムシムシキライ どうにもならないのが気候で、彼が「ムシムシ」と言うので何の事かと思ったら日本の"ツユ"が"むし暑く"てかなわないらしい。日本に十何年も住んでいるこちとらでもたまらないのに、急に日本に来たんだから無理もない。 最後にアメリカでの大学入試制度はと言うと「日本とアメリカでは非常に違います。日本でもしあなたが九大に入りたいと思うと、あなたは九大の入学試験を受けなければなりません。しかし、アメリカではすべての学生が同じ試験を受け、それとSchoolRecorcs(内申書)、希望する大学のInterview(面接)により決まります。School RecordsはSportsとClubsとGradesとにわかれていてこれが大きな位置をしめています。」との事。 ワタシシュウユウカンスキマス |
=全国高校野球選手権県南予選=
![]() 試合前の挨拶 | ![]() 投手:田中 捕手:伊藤 |
| 博商に完封勝ち ─野球部─ 7月21日、全国高校野球大会県南予選は、香椎球場で博多商業と対戦。県下屈指の速球投手と噂される田中投手が十六三振を奪う快投で博多商業打線を抑え、打線も四回に劉、佐伯の連続安打で2点を挙げ、博多商業に完勝した。 翌22日、同じく香椎球場で強豪博多高校と相対した。しかし、2日連投の為か、心無し田中投手の球の切れが悪く、また守備陣の乱れをうまくつかれ、大量6点を奪われた。一方打線も2安打完封に抑えられ、無念の涙をのんだ。 【修猷新聞】 |
= 運 動 会 =
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![]() 昼食時 | ![]() 6月6日:文化祭 |
■1985(昭和60)年1月5日■
| 昭和5年から昭和56年まで修猷館野球部を熱心に指導された行徳正祐監督の葬儀は昭和60年1月5日、昭和35年卒の福山正文先輩が住職を務められる姪浜の「興徳寺」で執り行われた。 昭和41年卒では並木、劉、伊藤、中山、山内、田中【写真下、左より】の6名が参列した。 昭和43年の春には西南学院大を指導していただき、田中、野口、伊藤の3名は再度行徳野球の真髄に接する事ができ、心より感謝している。 |
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