追悼:並木和夫君

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並木君のお参りに西明石へ

われわれが並木君の死を知ったのは昨年末の奥様からの手紙であった。田中君に音頭を取ってもらって1月21日にお参りすろことにしていた。

並木君については行徳監督の思い出として「修猷館山脈」に次のような記述がある。

(略) 「数えあげるとキリがないほど”サムライ選手”が多い。あいつも、こいつも・・・・。坊主たちはみんなかわいいよ」”カモシカ少年”の異名をとり盗塁王といわれた日高輝幸(昭和34年卒)中西太をびっくりさせるほど重いバットを軽々と振り回し、 第一球をのがさず打った内田成人(昭和35年卒)名マネージャーの中島安彬(昭和40年卒)模範選手の並木和夫(昭和41年卒、東大理学部、神戸製鋼)・・・。 行徳監督の記憶のスクリーンは限りない群像であふれていく。(⇒MORE)
彼は我々と一緒のハードな練習をこなし、ストレートで東大・理系に合格し、神戸製鋼鰍ナも輝かしい職責を残した天才であり、われわれの誇りであったのだ。

西明石駅集合⇒並木家へ

1月21日正午に、岡崎先輩、田中、野口両君、45年卒の向井君、私の5名が集合し並木家へ向かった。 並木家では奥様、母上、弟君の3名でお迎えいただいた。まず、並木君の霊前へのお参りを済ませた。穏やかな表情の並木君の遺影を見て虚しい気持ちになったのは 私だけではないはずだ。奥様からは、発病、そして闘病生活、ご子息の結婚式などの話しをしていただき、われわれの方からは一人一人の並木君との印象に残る話を 披露した。

並木家のほうで食事を準備していただいたので、場所を料理屋さんに変えて約2時間昔話に花を咲かせた。印象的だった話は、リハビリで頑張って 動けるようになったので、奥様が福岡へ行ってみようと誘ったが本人がその気にならなかったらしい。無理してでも連れて行けばよかったと後悔しているというものだ。

その時彼がどんな気持ちで福岡行きに賛同しなかったかを考えると胸が詰まる思いがする。自分の不自由な姿を見せたくなかったのであろう。 しかし、われわれは「物言わぬ並木君」よりどんな形でも生ある並木君に会いたかったということが実感だ。近いうちに奥さんと母上を福岡にお招きすることを約束して 、西明石を後にした。

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奥様よりその時の写真を送っていただいたので、懐かしの写真とともに掲載します。

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⇒並木和夫君のお参りに(小生ブログ)


懐かしの一枚

昭和5年から昭和56年まで修猷館野球部を熱心に指導された行徳正祐監督の葬儀が昭和60年1月5日、昭和35年卒の福山正文先輩が住職を務められる姪浜の「興徳寺」で執り行われた。 昭和41年卒では並木、劉、伊藤、中山、山内、田中の6名が参列した。その時のスナップである。



浄水茶寮で行われた2007年よいよい会新年会に野球部OBの田中、野口、衛藤の3名が出席したようで、その模様が 「Yoiyoi新年会 at 浄水茶寮」として妹尾くんのHPに掲載されていたので3名関連の写真にLINKを張りました。

@全体写真   A野口君  B田中君、衛藤君  C野口君  D田中君  E衛藤君


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