新橋・SIOサイト・築地 をぶらり! 【10/11・ 2003】 通勤でいつも利用している、新橋駅。銀座の表通りはよく通るが、築地方面はゆっくり歩いた事がない。JR新橋駅裏手に広がる「旧国鉄汐留貨物駅跡地」を利用した都内最大規模の再開発都市『汐留シオサイト』。を通って築地方面までウォーキングしてみる事とした。
汐留シオサイト
JR新橋駅裏手に広がる「旧国鉄汐留貨物駅跡地」を利用した都内最大規模の再開発都市『汐留シオサイト』。の完成は2006年。オフィスを中心に、レストラン、ショップ、分譲マンションなどの高層ビル13棟やイタリアをイメージした街などが建ち並び、各施設は、地下通路とデッキでつながる安全かつ便利な街になる。
築地市場
魚河岸の名で親しまれる東京都中央卸売市場築地市場。昭和10年の開設以来、巨大都市東京の食生活をささえて、既に60年の月日が流れました。
勝鬨橋・周辺
「かちどきばし」です。勝ったときにあげるあの「かちどき」が由来です。 では、何の勝鬨かというと、そう、明治38年、日露戦争の旅順陥落を祝って有志が「かちどきの渡し」という渡し船の施設を作ったのが由来です。 橋自体は昭和8年着工、昭和15年に完成しました。
築地居留地跡
中央区明石町一帯
聖路加国際病院
キリスト教の愛の心が 人のなやみを救うために働けば 苦しみは消えて、その人は 生まれ変わったようになる この偉大な愛の力を、だれでもが すぐわかるように計画されてできた 生きた有機体がこの病院である
浅野内匠頭邸跡の案内表示によると、ここ一帯、八千九百余坪はすべて赤穂藩浅野家の上屋敷だったそうです。もちろん、聖路加大学や病院いっさい含みます。相当な広さだったようです。
築地川公園〜築地本願寺
築地川公園は昔の川の跡です。なぎら健壱氏
の『下町小僧』に、築地川のことが少し書かれています。
『築地川が埋め立てられたのは、僕が小学校二年の時で、考えてみるともう28年も前のことになる。
その頃の、記憶にある築地川は悪臭を放ち、川面は常にメタンガスの泡が破裂していて、さながら雨粒が川面を叩いているような感じであった。
それ以前の築地川は、東劇の前辺りから、新橋演舞場辺りまでボート屋だとか、屋形船屋が何軒か在り、川遊びを楽しんでいる人達が大勢いたというが、僕らの時代の悪臭の築地川からは、想像することすら出来なかった。(中略)
この高速道路の京橋寄りに架かっている三吉橋は、日本で唯一の、世界でも珍しい三方から渡れる三叉の橋であり、かつては東京の名所であったのが、今では話題にすら昇らなくなってしまった。
というのも、橋の下は高速道路で、しかも橋の上は、車線変更の矢印などがところせましと描かれ、三叉の橋であることすら解らなくなってしまっている。それだけこの辺りは変わってしまった、ということであろう。』
「築地川公園」「築地本願寺」 「歌舞伎座」「日産自動車・本社」 「新橋演舞場」 を経由して、新橋から「京浜東北線」 で家路につくことにしよう!!!。
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