梅雨の一日・・・・上野へ/ 【平成15年7月13日】
「ああ上野駅」の歌碑がJR上野駅前に完成した。啄木も「ふるさとの訛りなつかし 停車場の人混みの中に そを聴きにゆく」と詠んだように、上野駅は人々の郷愁をさそう場所である。また、新潟日報の7月11日(金)付「日報抄」には次のように紹介されている。
一九六〇年代に集団就職列車に乗って上京した若者の応援歌「ああ上野駅」の歌碑が建てられた。場所はもちろんJRの上野駅前。多くの県人が歌碑の前で目頭を熱くすることだろう ▼中学卒業と同時に首都圏に就職した「金の卵」たちが、寂しいときやつらいときに向かったのが上野駅だった。屋根に新潟の雪を乗せた列車を見つけては、涙をぬぐう。六四年に「ああ上野駅」をヒットさせた歌手の井沢八郎さんに、上野駅長が電話を掛けたことがあった
▼「故郷恋しさに上野駅で列車を眺めている集団就職の子どもたちに『ああ上野駅』を聞かせている。一度来てほしい」。「行きましたよ。一緒に歌いました」。井沢さんが、歌手を目指して乗った夜行列車から降り立った駅も上野だった
▼歌手の森進一さんは中学を卒業すると、鹿児島から集団就職で大阪に出た。数年後に視聴者参加番組に出演したのが縁となり、「女のためいき」でデビューすることになった。「女が泣くように歌え」といわれても、十代の森さんには見当もつかない
▼やむなく、貧しい暮らしの中で聞いた母のおえつを頭に「アッアッ」と歌った声が、人々の心を揺さぶったのだという。「人生の並木路」の録音では「泣くな妹よ 妹よ泣くな」で涙があふれた。集団就職で苦労している兄の森さんのためにと、小学校五年生の妹が近所の手伝いでためた二千円を送ってくれたことを思い出したのだ
▼集団就職の若者に共通する思いが、井沢さんや森さんの歌に命を吹き込んでいたのだろう。貧しいがゆえに、故郷や家族と深いきずなで結ばれていた。そんな時代の歌声が心に染みる。
「ああ上野駅」の歌碑は「上野広小路口」に建てられた。やはり、年配の人達は感慨深げに見ているが、若い人はどうも・・・。
JRのガードの下、道の向こうに目をやると「あめや横町」、いつもの賑わいである。
一方「上野駅」は開業120周年になるという。駅構内では、青森の「ねぶた祭り」を紹介する展示物。そして、「津軽三味線」の実演と熱気ムンムン・・・といったところ。
地下鉄で「浅草」へ
今回は「メトロ通り」を中心に・・・まず、いつもの「熊野屋」 へ。若奥さんお勧めの、「干しダラ釧路産」を購入。あと、北海道産「イカの塩辛」と「あさくさのり」を購入。
次は、「浅草・桐生堂」 。ここは組紐と組紐をつかった品物、楽しい和雑貨の店です。店の前は※「東南屋」という一風変わった食堂も・・・。
※「たつみや」と読ませる日本料理店。 名店は、東南の方角を昔「辰巳」と呼んでいたことに由来しており、一説には観音様の東南にあたるからだとも云う。 以前は骨董品を扱う「好きな道」という店だっただけに、店構えから店内の調度品まで古き良き日本を感じさせる。 夜は鍋物が人気。
「箱長」 。桐箱から桐箪笥まで、桐製品のお店です。なかでも、大小の「仏壇」はなかなか趣のあるものが陳列されています。店の前を観光客を乗せた「人力車」も行き来して、江戸・下町情緒たっぷり。
「仲見世」を横切り伝法院通りへ。ここへ来ると一番最初に立ち寄る「江戸切子」 の店、見るだけで涼しい。そして、「浅草寺」の五重塔、西に目を向ければなつかしの「はなやしき」 。
浅草観光のHP
浅草のことが何でもわかるページです。
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